カテゴリー「Attitude, Style」の記事

勧める前に

例えば、あるレストランにいくと
エステや中古車屋のチラシが置いてある。

知人から頼まれたのか
自分が良いと判断したからなのか
(広告収入を得ているとは考えにくい)

私は基本的に
自分の良いと思ったヒト、モノ、コトを勧める。

自分自身が実感、体験していない事を人に勧めるには抵抗がある。
それはつまり自分への評価と重なると思うから。

これは仕事としてクライアントからお金をもらっている立場なら
別だ(容疑者の弁護とかもね)。


そんなことを言いながら
仲間のお店のオープンを手伝って
みなさんに「よろしく」と言ったばかり。

味見もしないで
商品も見ないで
それって無責任じゃない?

正直、自分自身そう思いました。

それをおして協力したのは
仲間であるということより
彼のお菓子に対する姿勢や経営への考え方に
共感したり関心することが多かったからでした。

結果的に見た目にもお味も満足出来るもので
想いと事実が連動している事を
実感した良い経験でした。

Kさんありがとう。

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決定と自己責任



とある検診について相談がありました

結果からいいますと
相談にきた方はとても満足していました。
検査の結果に満足しているというのではなく
その病院で検査出来たことに満足していたのです。

つまり
彼女のニーズと病院があっていたのです。

そうかと言って
この病院が誰にでも受け入れられている訳ではないのです。

人には相性や思い欲求がありますから。


ご相談を受けた場合、
私から情報は提供しますが
選択は個人に任せます。

自己責任です。

そういうと厳しいかもしれませんが
私たちは必ず自分で選択しているのです。


相手がどのレベルまで情報が消化できるのか
リサーチする能力があるのか
どんなものを探しているのか
その辺を踏まえながら
咀嚼の(噛み砕く)必要があればある程度砕いて
コーディネーターとして情報を与え
選択してもらいます。

情報は客観的に
先入観は入れないようにします。

往々にして情報伝達には
伝える人の主観的な考えが入りますので
その当たりに気をつけないと
伝達者側は責任転化されかねません。

「お母さんに言われたから仕方なく」
「先生に言われたから」そう言っても
そうしようとしたのは自分
そうしなかったのも自分ですよね。

お母さんや先生のせいにしてはいけないんです。

「ネットに乗っていた情報に惑わされた」

それを信じてしまった自分に非はないですか?
情報を正しく判断する能力に欠けていたのは
ネットのせいではありませんよね。

とはいっても社会においては
自分と相談者との力関係もありますが
(医師と患者、先生と生徒など)
本来ならば対等なはずですから
意見を求められているのか
同意を求められているのか

受ける側はその辺にも注意しながら
相談する側は情報を選択する能力を磨きながら
良いお付き合いしていきたいですね。


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急がば回れ

昨日は久しぶりにあった友人たちと
孤独と諦め
喜びと希望みたいな
いろんなモノを
さらけ出しました。


あっという間に時間は過ぎ
おしゃべりしたことでスッキリ。
笑顔で別れたけど
みんな「結構我慢して生きてるんだな」って。


今日の会議でも
「事件は現場で起こってる」的な
現在直面している問題の明確化と
それを管理する側の考え方
それぞれを踏まえた上でどうマネージメントするか
ふかーい場面におりました。


仕事を終えて山形へ向かう間
今日話し合うだろう課題の事以外にも
昨日、今日のこのやりとりについても
悶々と考えていました。

「問題の核心はなんだろう?」
「対処する方法はどんなことが考えられるだろう?」
それから
「自分の立ち位置はどこだろう?」
「自分の出来ることは何だろう?」
「自分はどうしたいのだろう?」


「私がこんなことが出来たら」
「私が代わりに○○が出来たら」
そう思って落ち込みがちだけど
やりたくたって出来ないことは急に出来るようにならないし
出来ないことを焦ったり悔やんでも仕方ない。
出来ることをやるしかない。
自分にそう言い聞かせました。




いつもは笑顔であまり不満を漏らさない人だって
たまには吠えたい時もある。
そんな時に自分に求められている事は何か
そこを外さないようにしながら
自分自身もそんなみんなに支えられている事を忘れず
苦手な事にも向き合うようにして
バランス良く行きたいと思います。




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地に足をつけているか

あれー、もう何度か書いたかもしれないなぁ。


    .
「地に足をつける」って言葉。




どんな場面に置いても
核となる大切な事って
十分に理解してないといけない。



それが分かることで
物事の優先順位が決まる。





思考は留まることを知らず
まるで∞の宇宙空間の中で
行き先を定めずネットサーフィンをしているかの様に
あちらこちらと興味の対象を変え
行ったり来たり飛んで行ったりし放題。




その傾向はきっとその人のすべてに共通していて
単純な日常生活の中のあふれる情報や出来事を
理論的に機能的に処理する事が出来なければ
その人の頭の中は
散らかりたい放題でまとまりのない状態なのだと思う。



つまりわたしはいつもそんな感じ。
情報の伝達と処理能力は早い方だと思うけれど
つい航路から逸脱してしまうのだ。


     
     

               .   
だから地に足が着いていない。

      .
だから満足できる結果が出せない。




どんな状況に置いても核となる部分を
見失わない様に注意しながら
ブレないようにしっかりと固定して
優先順位を決めて
コツコツ取り組まないとなぁ。




自分一人のcapacity(キャパ)で出来ない事を受け止めて
ある意味潔く諦めて
じっくりとやらなければならないことに
集中できるようにならないと
家庭も仕事も勉強も全部中途半端になってしまう。


頭の中のお掃除と片付けの効率的な方法
ぜひ教えてほしいものです。




ちょっと自分を見失いそうで
ボヤいてみました。

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循環させること

ふむふむ。

「大人の勉強」

なんてブログに書いたばかりですが
インターネットと言うものはなんとも危険なもので

ちょこっと調べ物をしているうちに
あれもこれも習いたくなるものです。

〈東京に研修に行きその翌日仙台でセミナーを受け
高速バスで鶴岡に戻ってくる。〉

出来ないわけではないスケジュール。

しかし、
ちょっと待ったーっ!

そんな時、
自分が提供したいと思うもの
自分が自分のクライアント(ターゲット)に必要だと思うものは
果たして今から私が学びたいと思っている事(取得する技術や知識)を
必要だと思っているのだろうか?

今日までに受けてきた研修や勉強会のおかげで
こう言った捉え方をするようになってきた。(やっと)
これまでは
自分が良いと信じるものを習ってきたし
それが社会にとって必要なものだと確信していた。

でも私の場合はINPUTばかりでOUTPUTする事が少なく
それは自分が提供しようとするサービスの幅を広げ
奥行きを深くすることを優先してきてしまったから。

費用対効果(つまり元)が取れていない事が本当の所
だから。
自分の中のポリシーとして
自分でやろうと思う事業や勉強は
自分が働いて貯めたお給料の中でまかなうことだったし
赤字にはしないということ。
それは出来てはいるのだけれど
「いつになったら自分の持っているものを活かして
社会貢献するのか?」と言う所に
自分自身ツッコミを入れたくなる。


大人の勉強は
好きでやるからこそ際限なく学びつづけるし
それは『これでお終い』ということがない分
いつまでたっても学びっぱなし。
つまりこのままの考え方では私は一生OUTPUTは出来ない。

勉強をするには第一
家族みんなの協力が必要で
かつ、時間もお金も必要だ。

例えその部分をクリアしたとしても
自己満足の勉強で終わらせないために
前述の問いにもう一度向き合う必要があるなと。


クライアントに喜んでもらうために
一日も早く良いものを形にして提供することで
社会的にも貢献できるよう
いろんな角度から
IN/OUTのバランスを取らなきゃ。
循環よ循環。
血液も氣もエネルギーも人もお金も
循環が大切。


うーむ、今回受けようとしているセミナーについて
理由がこじつけにならないよう
気をつけながら
ちょっと検討してみます。


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施術体験会を通して

ある整体師さんが
「習いたいかも」と我がセラピーを体験しにきてくれました。

彼女は玄米菜食や自然療法を実践されている
健康踏み込み型(受身型の逆)のお手本のような方です。



「周りの人を健康にしてあげたい」
そんな思いで施術を習い、実践されているそうです。

彼女のテクニックで
ひどい胃痛で他の部分にも不調が現れ
やっとのことできてくれた患者さんを
整体で直した感激の実話などを聞くと
素晴らしいなと思いますね。


自然療法を薦めるセラピストとしては
とても嬉しいですよね。

現代西洋医学ベースの病院がたくさんあっても
専門化が進み、より詳しく手技もより上達していく一方で
専門外の知識や技術が疎くなるなどの偏りが出る、
総合病院がなんでも病院になり
緊急のケースにうまく対応できないなど
現在この国が抱えている一部の医療の問題に
個人レベルで
薬や医者に頼ることなく
まずはセルフケアで、または代替医療の分野で
メンテナンス出来れば
病院は本当に必要な人に必要なだけサービスを提供出来るようになり
働くスタッフも人間的な生活の保証がされるなどの利点が生まれ
普段から気を配っているからこそ
医療サービスを受ける一人一人が
医師の診断や説明を正しい情報を受け止める事が出来る
それを実現できるんじゃないかと思うと
彼女のように知っている人から
大切に施術をしてあげることで
一人一人が健康という大切なものを手に入れられた
とても意義のあることですよね。

この整体師さんの向上心と探求心に感謝します。

大人になってからの学習意欲ですが
興味のあることをみたり聞いたり体験したり
習ったり自由に選べるのが
大人の学習の特権かなと思っています。

私も看護師としての医療の知識や現場での経験も含めて
もっと学びたいと言う意欲はおさまりませんでした。
学んだり経験を繰り返していくと疑問が出てきます。
そこに学習意欲が刺激されたわけです。

別のスクールで学んだことも
私の重要な礎になっています。
今でもまだまだ習いたいこと興味のあることは
たくさんあります。
しかし、私がこのセラピーに出会ってからは
結局このセラピーの良さを実感する事の繰り返しでした。
この整体師さんにも同じように思ってもらえればいいなと
思います。

健康は幸せの基本になります。
セラピーを受けることも健康を維持する第一歩。
セラピーを学ぶことはより深く健康を見つめる第一歩。

左右の足でしっかり歩んでいく【対】になるものと思っています。

私個人の二足歩行【対】の原点は
個人レベルの健康の推進と
誰かを支えている人を支えるその役目だと思います。

また話が反れましたが
健康や一般の悩みを抱えている方のお話を聞いたり
お話をさせていただく事もしております。

セラピーも受けたい方がいらっしゃればさせていただくし
習いたい方がいれば教えることもいたします。

気軽にお声かけ下さい。

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馴染むもの

週末に友人家族が来鶴していました。

アメリカから夏休みを利用して帰国してくるのですが
実家は東京と埼玉です。

去年は会えずでしたが

私たちが東京に住んでいた時は毎年会っていました。

今回はお天気にも多少左右されましたが

久しぶりに会った子供たちでしたがあっという間に打ち解けて

2日間たくさんのことを一緒にしました。

今朝の急行で帰るのでお土産を買いに開店を待ってお店に入ると

店員さんたちがお店の前で「いらっしゃいませ」と会釈をして迎えてくれました。

あまり開店直後に来店することはないのですが

この挨拶の儀式はどうも落ち着きません。

会釈を返すのだけれど

いちいち挨拶を返すのも何か変だし

居心地が悪くなってくる。

[日本らしい][鶴岡らしい]何かをと思って探して

何とかお土産を買って

駅にお見送りに駆けつけた。

「今度はぜひアイオワへ」と満面の笑みの友人家族

急行を見送りホッとして私たちも家に向かう。

途中開店休業と言うより廃業中のような

古いお店の入り口から老紳士が老女に頭を下げて出てくる。

老女は深々とお辞儀をして老紳士を見送っていた。

額は膝に付きそうなくらいのお辞儀で。

でもとても気持ちの良いもので

見ていて素直に「美しいなぁ」と思える日本の光景だった。

今朝の開店直後の店の挨拶とはまったく別のもの。

それとて

この老女のお辞儀を彼女達がしてもハマらない。

またこのお辞儀は私が見てきた外国のサービスにも当てはまらない。

嫌味がなく清々しく[有り難い]と言う心のこもったその礼儀は

あの年代の日本の人だけに相応する

それが故に

どんどん風化してしまっている寂しい現状のような気がする

アメリカと日本

若者と老人

西洋化したサービスと日本的なサービス

友人の滞在のおかげで

改めて様々な対比について考えた日でした。

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時間はかける

毎日かなりの量のメールのやりとりをしている
ブログもかなり時間がかかってしまう。

途中で眠くなってしまったり
寝てしまったりすることもしばしば。


そんな時「時間を決めて」とアドバイスをくださった方の
お顔と言葉が脳裏を霞めつつ
今の自分には時間を掛けて考え書くことが
大切(必要)だと思わないわけではない自分もいたりして
きっぱりと『15分で書き上げよう』
とはいかないのです  (;´▽`A``


昨日も真剣にPCに向かっていた夜
いつの間にかウトウトしていて思考が定まらない。

やっていることの重要度は低かったため
さっさとPCの電源を切って寝床に入って
うつらうつら現実と非現実の間を行き来していたとき

夫と上の娘が
「Wait a minuet I need to show this to **(私の名前)」
「Daddy, she is in bed already!」
「Doesn' matter this is a good news. **!**! Look!」
そんな風にドアを開けて入ってきた。

まっ暗い部屋に寝ている私の前にPCを差し出して見せたのは
Edinburghに住む親友に第2子が産まれたからだった。
父になったDがBabyを抱いて嬉しそうにしている。
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!

生後6時間。
一体地球上で何番目にD&CのBabyを紹介されたんだろう?
昨日は偶然、電話魔の夫がSkypeでCallしたら
DがBabyと一緒にカメラの前に写ったらしい。
(人の妊娠経過は早いものだ)

生後6時間のBabyを見ることが鶴岡ーEdinburgh間で可能だとは。

ママのCはさすがにPCのある所までは出てこなかったが
予定日より1週間遅れたが
自宅で無事に出産し
今はゆっくりしていると言う。

めでたいNewsに私もサクッと目が覚めた。
懐かしいぃ。
Cは元気か?
上の子Sは妹の誕生をどう受け止めているか?
寝転がったままでそんな質問をした。

我が家での自宅出産が思い出された。
もう8年近くにもなる…。
確か予定日を1週間過ぎた頃の出産。


自分たちとの想い出と経験が夫をさらに興奮させ
やたらと声が大きくなっている (^-^;

「便利な世の中だぁ。」

D,CそしてSちゃん、Babyのお誕生おめでとう。
ヽ(´▽`)/

そう言って私はまたすぐに眠りに落ちた。
昨夜のこの出来事は夢か?真か?
(Skypeはビデオカメラの映像を写真として撮ることも出来るんです。
昨夜私は夫に写真を撮るように指示したはず。
ただ、このPCで撮ったのでなく別のPCでSkypeしていたので
すぐには見つからない。
それにもう眠くなってきたのであえて探すことはしない…)

真でありますように。





ツラツラ書き込んでいるとあっという間に時間が経って
今日も眠くなってしまった。
この辺で眠るとしよう(午前0時45分前)


Babyの写真は名前が決まったらUPしたい。
ともあれ めでたしめでたし。

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今年も残り半年をきって

庄内は何処もこんな感じ?なのか
鶴岡はこんな感じなのか?

子供たちがここの小学校へ入るようになって
2年を過ぎ
学校単位、学年単位、子供会単位、町内会単位
それぞれの単位でいろんな交わじり関わりがあった

上の子が2年間過ごした東京の小学校(地域)では
到底考えられないような
親と学校と地域の関わり
親同士、親と先生との関わりもある

このところ
いろんなことを抱えすぎて
身体にそのシワ寄せがきているようで
改めて優先順位を見直さないといけないと思う
(昨日今日の不調はやばかった・・・)

そんな中でも
学年PTAの長として
懇親会の運営参加などもあって
出かけてきたが

同じテーブルについたママさん達と
子供たちや学校の話しをしながら
親同士の親睦会と言うことで
自分たちの話で盛り上がった

特に関東出身の嫁の立場のママたちとは
庄内の男のどこに惹かれたのか
庄内の姑とくらしてどうなのか
庄内の隣人、同僚との付き合いはどうなのか
そんな話から
「おくりびと」などで見られる習慣の違いなど
共有すること
同じ思いをしていること
この場所が好きだということ
様々なことをはなして打ち解けた

先生と酒を酌み交わし
結構パーソナルな話題などつっこんだ話をしているママさんたちもいて
未だに私の踏み入れられない一線という物が
目の前で繰り広げられていく様は
圧倒される所ではあるけれど
アンテナの低い私には唯一の情報収集の場になったりする

この土地に住む人たちの習慣は
先生も親も地域も学校も
一緒に何かをして
一緒に酒を飲んで
労をねぎらう所から
情報交換をしたり
信頼関係に結びつけていったりするのかもしれない

会社の上司や同僚もよくお子さんの学校や部活動などに
協力、応援をしに駆けつけ
保護者同士や先生たちと飲む話をよくしている


ドライな都会とは違うウェットな場所がここ鶴岡だとすると
うまくバランスをとって
サバイバルしないと

良く考えると私は大抵真ん中にいる


だからこそ自分のオリジナリティというものが
明確になるのだが
それが良い時もあれば
頼ってくれる人たちや周りに一生懸命あわせようとしている内に
大変負担になってしまうことも多く
どんどん自分本来の生き方、選び方を後回しにしてしまい
追い詰められて体調を崩して後悔することなったりして

自分のありたい場所、行きたい所を見据えて
自分の立ち位置を客観的に判断して行動しないと
結果的には自分の出来ること、してあげられることは
長続きしないし、私自身の役割も活きてこない


自分を取り巻く環境のうねりに飲み込まれながら
自分自身を見失わず活かす方法は
現在進行形の課題
そんなことを考えていたりする

だからこそ
生き生きと自分らしく
自分の好きなこと
出来ることを一生懸命やっている人たちは
私の支えであり目標であり同志だと思って
そんな彼、彼女たちに恵まれている事に
改めて感謝してしまう

そして
「自分らしさって」
「自分のやりたいことって」
と自分探しをしてもがいている仲間も大切



6月も半ば
後半年
自分はどう変わるのか成長するのか
ゴールは出来るのか
今ここで立ち止まって考える時が来ている





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感謝と言うプラスの循環

打ち合わせ、会議、
毎晩何かしらの用事で家を空けている今日この頃

昨夜は
一年ぶりの方も含め定例会でも顔なじみのみなさん
そして経営学のプロの先生を交えた
交流会が大山でありました。

約20名のメンバーは
それぞれに熱く
美味しい食べ物とアルコールも入り
賑やかに時間を過ごしました。


庄内に越してきて丸2年が過ぎ
それを早いというか
やっとと言うか
自分的にはその両方を実感しながらも
昨夜のような形で
いろいろな場所に住み経験と実績を重ねた
様々な業種、年齢の方々と交流を持たせていただけていることは
住み慣れた東京を離れ
何も知らないこの土地に来るときの不安な時からでは
考えられなかったことです。


ただ広い交友関係があれば良いと言うものではなく
自分にとってどのように繋がっていく人達なのか
そう考えた時に
創業塾がきっかけで知り合い
創成会と言う形で継続的に刺激し合える環境は
公私共にありがたいことです。



創業塾と言う場所がきっかけではありましたが
これまでもずーっと自分がやっていきたいことは何なのか
繰り返し繰り返し考え確認し
人と人との関わりのなかで
さらに健康と幸せいう分野で
自分の満足の行く方法で生きたいと思いを強くしてきました。


激流のような世の中のうねりの中で
変わらないものがあるとしたら
私にとってそれは「感謝」の思いです。
と言うと何か歯が浮くような表現だと思いますが
誰かを想い
誰かのために何かが出来たときにいただく
「ありがとう」
その言葉がある以上
そこに自分が存在する意義が生れ
そこにプラスの循環が起こり続けるからだと思うからです。



相手の年齢も役職も国籍も関係なく
誰かのために何かが出来た達成感が
自分を動かしつづける原動力になるのです。


どんな仕事のどんな立場であれ
相手のいない人はいません。
感情のない人もいません。

大変な時には妥当な戦略も必要でしょう。
でも最終的には人を動かすのは人なのだと思います。
その両方がバランス良くとれるようになると
自分のやりたいことが自然と動き出している
そういう事だと思います。

ここに住んで
ここで知り合ったみなさんとも
今後とも人として良いお付き合いが出来
その中でお互いにプラスの循環を共有できるように
これからも楽しみながら
大切に思う誰かのために努力したいと思います。

ともあれ
良い人、良い食材と料理に囲まれ
良いお酒でした
(って、昨夜も飲んでないし…)



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