南半球と言えば・・・
今では
New Zealandに住む友人家族
もう5年も会っていないし
連絡もほとんど取り合っていない。
その
Kiwi(ニュージーランド人)とCanadianのカップルの
彼らと出会ったのは
10年以上も前。
Kiwiの方の彼は
英国国籍があったこともあったのか
日本での仕事が終わると
イギリスに引っ越して行った。
その後偶然にも
私たちもイギリスに移った。
私たちが
Cardiff(Walesの首都)からLondonへ越した後は
わりと近所に住んでいたこともあって
上の娘をかわいがってくれたり
下の娘が産まれた時なども
お祝いに駆けつけてくれたりしたとても良いカップルだった。
私たちがLondonを離れて
LAに移った頃
彼らにも家族が増え
Londonを離れTrontoに戻ってきた。
しかし仕事がないと言ってCanadaを離れ
NZに住むつもりで
その道すがら
LAの我が家に寄ってくれた。
ちょうど上の娘がKinderの初日を迎える
記念すべき時だった。
自分たちに娘が出来た後も
相変わらず我が娘達を可愛がってくれて
ディズニーランドにも一緒に行ってくれた。
(主人は大のディズニー嫌い)
その時何を話していたのか良く覚えていないのだけれど
Kiwiの彼が
K「俺は娘を怒らないんだ。」
私「どうして?」
K「後悔したくないんだ。」
私「後悔って?」
K「それが最後に交わす言葉になるかもしれないと
思うと、自分が言ったこと、やった事に
後悔するのが嫌なんだ」
あの頃のKiwiの娘は1歳
可愛い盛りで怒る事なんて必要のない
手放しに可愛い時期。
今では弟も生まれて
もう上の子は6歳くらいのはず。
事情は変わっていると思う。
けれど
その彼の言葉は
いつも娘たちを学校へ送り出すときに
私の中に響いている。
娘たちは起きるのが苦手で
毎朝バタバタする。
それを叱りながら急き立てながら送り出す時
余裕なんてないし
笑顔なんて作れない。
でも
彼の言葉がいつも思い出されて
送り出すその瞬間だけは
怒りも苛立ちも抑えて
笑顔で送り出さないといけないと
努力(だけ)している。
いろんな事件や事故の話題を聞く度に
この思いは強くなる。
つい先日
知人のご家族が事故に巻き込まれて他界。
突然の死は
自分の生活が死について不用意なものだと思い知らせ
残された者は
大きな絶望感と虚無感、無力感に包む。
病気で徐々にその最期を覚悟している時でさえ
身内の大切な人の死は
心穏やかに受け入れられるものではないのに
朝いつものように元気に出かけて行った家族が
急に還らぬ人になってしまうなんて
誰が想像できるだろう。
残された家族や知人は
日常の些細な事に後悔をし
自分を責める、責めつづける。
やってあげられなかった事
愉しませられなかったこと
満足させてあげられなかった事
期待に応えられなかった事
(と思い込む事)で
自分を責めつづけ
延々と悲しみと後悔に包まれる。
もし
最期の関係が
喧嘩したままだったら
お互いに嫌な思いをしたまま
謝らず終いだったら
きっと自分を責めつづけるだろう。
でも
普段から
死を覚悟して生きるなんて
中々出来ることではないし
きっと目の前のしなければならない事に
邪魔をされて
焦りや不安から
怒りや苛立ちを覚え
それを表現してしまう事だろう。
でも
間違ったこと
悪いことをしたら叱るのは当たり前。
今の我が家の状況だと
たぶん、コミュニケーションのそのほとんどが
注意して、
叱って
文句を言って
そんな時間ばかり。
でもそれは仕方のない時期だとしたら
叱った後、
相手が嫌な思いをした後に
グチグチと後を引かずに
気持ちをスッパリと切り替えて
仲良くなりたいと思う。
だからと言って
悲しみが減る訳ではないのだけれど
失って初めてわかるその大切さを
失う(失わせる)前に
そう心掛けて大切な人たちと付き合っていけたらナと
思うわけです。
一期一会の気持ちで。
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