酒田三十六人衆
米沢が舞台の大河ドラマも
いよいよクライマックスです。
直江兼続は
河川の管理や農業を奨励し
困窮する財政の中でも
家臣の絶大な信頼を得ながら
直江家と米沢の安定のために尽力しました。
まさに義と愛の武将です。
歴史嫌いの私が歴史物を見るようになったのは
皮肉にも海外に住んでいたからでした。
そしてこの庄内に移り住み
地元の人たちと付き合っていく中で
歴史は無視できないものだと日頃から感じるのも
歴史の大好きな友人の影響だと思っています。
酒田の三十六人衆のことを聞き
調べたいと思ったのは
その友人が地元の起業家グループの会合で
チラッと話題にしたのが理由でした。
私にとっては始めて聞いた言葉でしたが
経済、経営、株式あたりを専門としている方は
多分、どこかで聞いたことがあるのかもしれません。
江戸時代、酒田は廻船問屋を中心とした商業交易都市として、
飛躍的な発展をみせた湊町だったそうです。
酒田の商人はその財と懐の深さで
地方大名の資金繰りを助けたのだそうです。
経済発展の背景には戦国時代に入庄した三十六人衆の
政治的・経済的・文化的諸活動があったのですが
じゃ、そもそも三十六人衆って?
(商工会議所のHPより抜粋要約)
文治5年(1189
年)
頼朝の奥州征伐で滅
ぼされた藤原秀衡の妹(徳の前)
もしくは後室(徳尼
公)を守り
三十六人の遺臣が飯森山に落ち延びました。
(酒田三十六人衆由緒書より)
徳尼公の没後三十六人はそれぞれ地侍となり湊を開き
その子孫がそれぞれ廻船問屋を営み、
そのかたわら町の年寄役として行政にたずさわり、
「西の境、東の酒田」とよばれる
酒田湊町の繁栄の基礎をつくったのだそうです。
そもそも経済の原語は「経世済民」であり
「乱れた世の中を整え、苦しんでいる民を救う」という意味。
にもかかわらず、
経済の原動力たる金銭(商業活
動)については
ネガティブな印象がつきまとう。(多分に儒学の影響による)
「士農工商」と封建的身分制で『商』が最下位に位置づ
けられたのも
労せず坐して銭を稼ぐと言う
「賤貨排商論」の見方によるものらしい。
そういった偏見の中で、
江戸中期の思想家・石田梅岩は、
銭を重ねて富をなすは商人の道であること、
ごまかしのない商売は善であるとし
商人に勤勉努力の
大切さを説き
酒田の多くの商人に受け入れられ、
心学は酒田商人の心の支えとなったと言います。
当時、酒田には地方自治が既に成立し
他の自治都市が崩壊していく中
酒田商人の存在は、日本の経済そのものを
動かしていたといっても過言ではなかった。
そればかりではなく
そこには含蓄ある確かな商人道としての哲
学があったのだそうです。
それは、地道な長期計画の中で
「徳を施し得をえる」商法の実践で
今日の酒田を支える庄内浜の砂防林建設がその一例で
季節労働者に対する失
業対策
事業の側面も兼ねた
まさに経世済民を地でいくようなものであったらしいのです。
企業の追求する私的利益と
市民社会の公的利益の同心円化を求められる昨今
酒田商人
には既にその明確な哲学があったと言えるようです。
「そこに哲学がなければ単なる金儲けです」
大切な友人からのメールに書かれていました。
そうなるとつまり卑しい儲けになってしまうのです。
義と愛の政治的・経済的・文化的諸活動が
必要とされている時なんだと思います。
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